よく、晴れた日だった。だというのに、なぜ。この男に会ったとき、しめやかに空気が震えた気がした。 六番隊の長となってずいぶん時が経つ。その間どれほど多くの者と出会い、どれほど多くの別れを重ねていっただろう。 百も千も万も、出会いを積み重ねても、もう二度と。彼女のように想い想われ、ただそれだけで胸の内があたたかさに満たされ、 喜びに打ち震えるような幸福を得ることなどできはしない。約束は。彼女との最後の約束は果たした。ルキアを朽木家の養子とし、 妹とすることで、白哉は全てに決着をつけた。もう二度と、掟を破ったりはしないと父母の墓前で誓った。これで良かったのだ、と。 そう思う意外に何ができただろう。大小様々な墓石が整然と、しかし端に向かうにつれごちゃごちゃと規律なく立ち並ぶ墓地で。 手桶に花をいくばくか挿して、向かう先に気配を感じ目を向ければ。知った顔がぼんやりと何かを見下ろしている。 周りに人の背丈ほどの墓石や卒塔婆が並ぶ中、『彼』が立つその位置だけはぽっかりと開けた空間になっていた。 「あれ、白哉じゃん。どしたのこんなトコで」 こちらから声をかける前に振り向いた、その瞳の色は桔梗色。鮮やかな青紫は白哉の持つ手桶の中にある花と同じ色。 「………」 返答をしない白哉をよそに、彼は、十三番隊所属は白哉の持つ手桶に気付くと一人考え込み、 やがて得心のいったのかにこりと笑った。 「あーそっか。月命日か。緋真ちゃんの。そっか、うん。偉いぞ白哉!」 「兄は、ここで何をしている」 「ん、俺?俺は―――うん。何しに来たんだろうね」 珍しく言いよどみ、そして実の無い返答を寄越す。彼は文官として名高い。剣の腕の方もそれなりなのだろう。 あの十一番隊の隊長が事あるごとにを鍛錬に連れ回す場面を何度も目にしている。 しかしそれ以上に彼は類稀無い弁舌と素早い回転の頭脳と、 やわらかな物腰と整った顔立ちを武器に護廷十三隊一の文官として名を馳せている。 その才には中央四十六室も一目置いているらしく、年に数度ある四十六室との会談の折には、 山本総隊長は自身の部下ではなくを必ず供に連れて行くほどだ。明晰な彼にしては明らかにおかしい先程の返答。 なぜ、このような場所にがいるのか。まさか気儘に散歩をして入り込んだ訳でもあるまい。 少なくともここに、墓標が立ち並ぶこの場に来たということは、何がしかの理由があるはずだ。 白哉の問いに曖昧に答え、再び足元にある何かを見下ろしたの横顔を眺めながら考える。 そうして記憶の奥底からようやく引き上げた人物を思い出し、眉間に皺を寄せて再び問う。 「花でも手向けに来たのか」 言えば、彼は両目を細めて白哉を見る。何者も寄せ付けない、といった至高の孤独をその貌に刻んだ次の瞬間には、相好を崩して笑った。 「あの人に?ははっ。なら真っ赤な薔薇の花を年の数だけ用意しなきゃ」 「戯れ言を」 本気で言っているのかふざけているのか。の言葉に白哉の瞳に険が宿る。 しかしお構い無しに続けられる言葉に白哉は僅かに眉を顰めたのだった。 「―――本当はさ、俺、あの人が死んだ時に一緒に終わりたかったんだ」 「何を」 「バカみてーって思うだろ?でも割と本気。俺はおまえと違って貴族の掟とか、誇りとか。 囚われるものが何もないからな。だからあの人がいなくなるなら、一緒に消えてしまいたかったんだ」 「」 表情は、見えない。だからこそ怖い。彼が本気で言っているのか、それともいつものようにまた数秒後には「冗談だよ」 と笑って済ませるのか。判別がつかない。だから、怖い。何の躊躇いもなく「消える」だなどと口にする彼が。 「本気、だったんだ。ホントに終わらせるつもりだったんだ。だって俺はあの人以外何も知らなかった。あの人しかいなかったんだから」 「………!」 淡々と言葉を並べるだけの彼を、白哉は堪らず遮る。彼の内にある深い哀しみの淵に触れてしまうのが恐かった。 この男は、という人物は。底知れぬ、と以前感じた思いが心に甦る。妹であるルキアは素直に彼を慕い、 彼もそれに応えている。だが、時折見せる空虚な瞳。まるで彼の目の前には何もないかのように一切を映し出そうとしない美しい桔梗色。 それを目撃するたびに恐怖を、畏怖を感じざるを得ない。近付きすぎると呑み込まれてしまう、と彼のことを言ったのは誰だったか。 全くその通りだ、と悠長に感心する暇も与えずに、空っぽの瞳は虚ろに足元を見下ろす。 「死ぬつもりだったのになぁ。いつの間にこんなに未練が残るようになっちゃったんだろう。なあ、あんたはこんな俺見てどう思う? 腹抱えて大笑いすんのかな」 古ぼけた丸い石を二つ重ねただけの墓。名すらも刻まれておらず、どれほど長い年月を経てきたのか、 雨風で風化しわずかに苔むしている。その小さな崩れかけた墓に向かってひたすら喋り続けるは異様だった。 常とあまりにも違うその様子に、喉の奥を不自然に鳴らすと、気付いたがうつろな瞳のまま振り返った。 「過去に囚われるな、って。言ったばっかなんだよ。でもさ、情けないことに俺はこんなに未練がましい男なんだ」 じゃり、と足元の砂を踏みは身体をこちらへ向けた。真正面からあの桔梗色の瞳に対峙する事となり、 白哉は知らず手桶を握る手に力を込めてしまっていた。 「いつまで経ってもあの日のことだけは消えてくれない。あの日がなければって何度願ったか判らないのに。 それでも思い出は忘れられなくて、だから苦しいんだ。なあ、どうしたらいいんだ?白哉。大事な人がいなくなった時、 どうやってその穴を埋めればいい?どうしたら俺は安らかになれる?」 晴れ渡った青空の下、その蒼天に似つかわしくない、いや、いっそ似合いすぎるほどに儚い泣き笑いのような表情では白哉に問いかける。 言葉を、気持ちを向けられ、僅かに見開いた目に映る男は、姿は青年だ。自分とさほど年は変わらないように見える。 その彼が、少年のように、頼りない子供のように、 誰かの助けがなければ生き延びることもできない幼子のように彷徨った瞳を自分に向けてくる。 実際は、は白哉などより遥かに年嵩だ。の言う『あの人』は白哉が生まれる頃にはすでにこの世界のどこにもいなかった。 「忘れることなど、できぬ」 波立った心を知られないように努めて静かに白哉は言う。 「忘れる必要もない。彼女と生きられて私は倖せだったのだ。それをどうして忘れなければならない。 無かったことにするなど笑止千万、、兄はいったい何を見て今の今までのうのうと生きてきたのだ」 似ているのだ。と自分は。大切なモノを失くした痛みを知っている。だからこそ、 の感傷に引き摺られてこのような気分になることだけは避けたかった。 「私は貴様とは違う」 不愉快だ、と言わんばかりに顔をしかめてみせれば、ガラス玉のようだった青紫色の瞳に徐々に光が戻ってきていた。 「『泣けない』貴様とは違う。私は『泣かない』だけだ」 風が、吹いた。二人の間を吹き抜けていった風は一滴の雨を上空に攫っていった。 「……………なんだ。優しくないなぁ、お兄様は」 「兄の兄になった覚えなど無い」 「その内なっちゃうかもよ〜?」 「戯れ言を」 軽口を言い、ようやく笑った顔はまだぎこちない。だがそんな笑みにつられるように白哉も口の端を僅かに上げて微笑んだ。 ふと思いつき、手桶の中の花を一輪、差し出す。花と同じ色の瞳が揺れ、躊躇うようにおずおずと伸ばされた手は、 それでもしっかりと花を受け取った。そのままその場にしゃがみ、墓石とも呼べぬ有様の其処へ供える。 手を合わせ、ゆっくりと瞬いたの瞳には同じ色の花が凛とした姿を映しこんでいた。 |